さて、何が世界を終わらせるのか




































このところ縁あって、
…いや、苦しみから逃れる答えをみつけたくて、この国の戦後史について勉強していた。


日本人は『60年安保』を境に変質してしまったらしい。




敗戦からの15年間は、日本人がもっとも立派で美しい時代だったのだという。


死の恐怖からやっと解放された、その喜びをもってすれば、
焼け野原をきれいに片付け、一からすべてを立ち上げる労苦も如何ほどのものか。


自分たちの国をつくるという希望にあふれ、それは勤勉に、それはむつまじく、
全員が手をとりあって一歩ずつ歩んだ。




それがあるとき、この国にいまだアメリカ兵がいる不条理に気づいた。


進駐軍に占領されていた時代はとうに終わったというのに、
政府は、アメリカの戦争に協力しなければならないという決め事を結ぼうとしていた。


それは駄目だ、日本はもう二度と戦争はしないと誓ったんだ。




復興の木槌をデモンストレーションの旗に持ち替え、
人々は主権を勝ち取るために立ち上がった。


国会議事堂をとりまく、13万とも33万とも70万とも言われた人々の群れは、
「自分たちで変えられる!」と信じる希望の一丸だった。




しかし、願いは無残についえてしまう。


この敗北はただの挫折ではなく、
ほかならぬ自国の政府が、日本人に自主自立は許されないと決定づけた、
無力の錘(おもり)となって、人心の奥深くに沈められた。




間をおかず、国土は『所得倍増計画』で豊かになり、
消費する高揚感と引き換えに、日本人は何でも人まかせの他力依存に変質してしまった。


…過激な言い回しをするなら、この闘争の敗北は、
日本人を死にいたらしめた、三つ目の原爆だったのかもしれない。




現在(いま)。


この期に及んでも、この国ではなぜ大きなデモが起きないのか不思議だった。
それはそのまま、自分に対する疑問でもあるけれど。


日本人の精神に、こんなに激しい断裂があったとは…


今のこの私たちが戻るべき原点が、どこにあるか、分かった気がした。






たった数十年前まで、日本人はちゃんと、自主自立の精神を持っていたのだ。






あの3月の浅い春の日から、またひとつ、時代は変わった。




死というものを思うとき、これまではあまり、順当を疑うことのない自分がいた。


もちろん、「その日が来るのがいつなんどきかは分からない」ということは、
解かっていたけれど。


たぶん年をとってからなのだろうなと、
むしろ老人になってからの生をどうすればよいのか、そちらの方に気をとられてきていた。





「いつなんどき」が「明日かもしれない」に、
否応なく変化させられて、
今、まえよりも自分の死というものを考える人が、多くなったのではあるまいか。





日本には無常観がある。


諦観、あるいは達観。


しかし私は、明日かもしれない明日を意識するようになってから、
どうしても始末のできない波立ちを、ずっと抱えることになった。




自分にとっては、天災は受け入れられる。


自然の力に抗うことは、どんな人間にもできない、
神の指し示した何かに近いものを感じるから。


しかし人災はちがう。


理不尽を、これも定めと受け入れることには、どうしようもない抵抗を覚えてしまう。


だってこの先も生きていかなくちゃならないから。




そう、分からないことを考えても何にもならないのだから、今を生きる、それしかない。


多くの人はそう言う。
自分も頭では解かっている、いずれそこへ行くことも。


けれど、納得をみつけられないまま、
ただ「それしかないんだから」とこの波立ちをねじ伏せることは、私にはできない。




あるがままを受け止める、心から。


静かに平らかに受け止める。


私はそこに行きたくて。


どうしたら折り合いがつけられるのか、
それでも生きていくと、言い切る自分になれるためには、どうしたらいいのか。


あの日から、ずっと、ずっと、考えてきた。





今も、その静かで平らかな答えは、みつけられてはいない。


けれど、戻るべき原点を見たことで、
曖昧な恐怖が引き絞る、心の糸の緊張を、すこし、健全に、ゆるめられた気がした。


諦めではない、自分の意志の持ちどころというものが、芽生えた気がした。






今を生きる、とは、「嫌なことは忘れて、今を楽しんだほうがいい」という在り方とは違う。


この瞬間に、自分がやってみたい人生を送れている、ということなのだ。






自分で自分の物語を決める。


そのためにどう振る舞うかも、自分で決めて、自分の人生という舞台に立つ。


客席に座ったままでは、やってみたいと立ち上がらなければ、
たぶん本当に生きたことにはならないのだ。






生きるということは、死ぬための準備。


「生には限りがある」と解かって、今この瞬間も自分の物語を生きてさえいれば、
怖いものは何もなくなるのだ。


自分で決めたことにこそ、納得は生まれるのだから。


いつなんどき死と向かい合うことになっても、微笑んで見据えることができるのかもしれない。




その死が悲しみではなく感動を呼び起こすものであったら、
それは光芒のように、いつまでも誰かの心に生き続けることになるのだろう。


そしてそれは、残ったものを凛とした生き様へと導く芯にも、なるのだろう。


本当の遺産、本当の生まれてきた意味とは、そこでこそ発現するものなのかもしれない。




どう生きたかは、どう終うかで証されるのだ。


よりよく死ぬためには、だから、人生を他人に任せてはいけないのだ。






この輪が解ったとき、『さて、何が世界を終わらせるのか』のこの台詞が浮かんだ。


嫁役だった自分は、かたわらでこの言葉を聞くたびに、毎回本気で泣けた。
おばあちゃん…どれだけ愛してくれていた、この家族を、この家族との人生を…


泣けたのは、死さえも生き様に変えるこのひとの、凛然とした背すじに、
感動をもらえたからかもしれない。





このひとも、国会議事堂をとりまいた中の一人だったのだ。





いつかまたおばあちゃんに会う機会があったら、私はきっと、そう思って、
見る。


そうしてそのときには、きっと、静かで平らかな自分がいる気がする。






誰のせいでもない。
何が起きてもいい。


「そこからの物語」を作るのは、自分なのだから。













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明日があるさ 〜田川家の人々編































四姉妹のお話って、独特のロマンをかきたてられるものがありますよね。


若草物語』しかり、『細雪』しかり。

ハードなところでは、『阿修羅のごとく』という名作もありましたか。


この物語は、亡父の七回忌で鎌倉の実家に集まった、田川家の四姉妹の、
ひと夜の出来事を描いています。





気の強い長女に泣き虫の次女、トラブルメーカーの三女にいつもおミソの四女。


たおやかにおっとりと、季節の風に送られながら、
生い育ったこの家のむすめたちも、今や30代に40代。


それぞれの人生を抱えるようになりました。





きょうだいというものは不思議なものですね。


田川家の4人も、集まればやはり少女の頃に戻ってしまうのだけれど、
大人の姉妹たちが、そうそう他愛もないところでいられるわけもなく…


軽い諍いが、この家の思わぬ秘密を暴きだしていくことになります。





伊東由美子の作風は、ファンタスティックなスケールの大きさが特色とされていますが、
この『明日があるさ』は、リアルタイムのお茶の間一場のみで繰りひろげられる、
正統派の心理劇です。


伊東作品としてはもとより、離風霊船としてもかなり異色なホンと言えましょう。


1998年に、中目黒ウッディシアターの杮落としで上演されましたが、
実験劇場「りぶれかぶれ」としての作品でしたので、
これをご覧いただいている方は、希少な存在かもしれません。





今、久しぶりに手にとってみても、四姉妹の人物と心の機微がよく描かれていて、
読み物としてもとても面白く出来ているホンだと、あらためて思います。


伊東の台詞には、読むと思わず口にしてみたくなる、実感の美しさがあるのです。


個人的には、リブレセンの芝居の中でもベスト5入りする、非常に好きな作品です。





が、その話をするたびに、伊東の表情はあまり芳しくなくなるのです。


彼女の中では鬼っこ作品とでもなっているのか…わかりませんけれどね。


しかし私は、女優4人が四つに組む大人の芝居という意味で、
離風霊船の『楽屋』と位置づけてもよい作品だと思っています。





私が思うに、どうも伊東のテーマのひとつには「老い」があるように感じられます。


気持ちはあの頃のまま変わらず、むしろ充実は年ふるごとに満ちていくのに、
自分が知っている自分と、他人が知っている自分は、かけ離れていく…。


変わらぬもの、失ったもの、失いつつあるもの、
変えたくないもの。


そんなせめぎあいの中に、伊東は人間のスペクタクルを感じているのかもしれません。





この作品では、その視点をひとひねりさせて、
「父と母」という、子どもから見たまとまった単位が突然転変する瞬間が、
物語のひとつの山場として描かれています。


全員がもう若くはない、ミドルエイジの娘たちなればこそ、
理屈では識(し)っていながら見ぬふりをしてきたことがらと直面したとき、
単純な答えを当てはめることはできず…


四姉妹それぞれの人生の綾もまた、そこから浮かびあがってくるのです。





いかにもホームドラマといった趣きが勝ちそうな印象ですが、
面白いもので、映像ではこのホンの味わいは出せないと思うのです。


窓から覗き見しているような、あるいは5人目のきょうだいとしてそこにいるような、
俯瞰ではいられない何かは、生身の姉妹たちが目の前にいるからこそ生まれるもので。


食卓の上の小さな出来事が、人の世を流れる大河のような時間につながっていることを、
客席は肌で知る。





「演劇的なるもの」を削ぎ落としてはじめて生み出し得る演劇の世界を、
実はとてもよく実現している戯曲作品だと思います。


伊東さんにとっての実験とは、その辺りへの挑戦もあったように理解しているのですが、
岸田國士の劇作に通底する作品だということも、私は感じています。





人は、特に女性は、好きな相手を自分と同化させて考える傾向があるのだそうです。
同じ価値観を共有しているものだと、無意識が信じさせているのだと。


それが家族である場合、違いに気づいたショックは思う以上に大きいのかもしれません。


親子といえど、きょうだいといえど、皆一人の個人だと解ってはいても。


他人なら、そこでサヨナラしてしまうこともできるけれど、家族はそうはいかない。
それが厄介で、それがうつくしいのかもしれませんね。





終演後に、残り香のようにただようえもいえぬ余韻は、
そのままこの作品のタイトルへと、見た人の心を引き込んでいきます。


そう、明日があるさ


さもない日々の裏側に眠っていた事実に気づいてのち、
人は変わっていくのでしょうか…


あるいは変わらぬことを選んで、日々をまた、歩いて行くのでしょうか…





上演時には、私は次女役を演じました。


だいすきな大好きな、愛しい役です。

この役を当て書きしてもらえた喜びは、今もずっと心の中で生きています。


ぜひの再演を、また同じ役でと願っているのですが、
そのときには、伊東さん本人に長女役を演ってほしいと、ひそかに切望しています。







日影においておくのは惜しすぎる、離風霊船の隠れた名作です。










著者:
若草物語』 ルイザ・メイ・オルコット
細雪』 谷崎潤一郎
阿修羅のごとく』 向田邦子
『楽屋』 清水邦夫







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STATION 2





























お金ってなんでしょうね。


人は何のためにお金を欲しがるのでしょう。


豊かになるため?
…豊かさってなに?


言い古された今更な想いだけれど、
私は今、本当にこのことに疑問を感じています。






あれから三ヶ月が経とうとしていますね。


みなさんは今、どうされていますか?
どんな風に、生きていらっしゃいますか?






それでも生きていく、という言葉が、
あるときは胸を塞ぎ、あるときは希望の灯をともし…


その波のようなゆったりとした振幅をもてあまして、
私は、ときおり立ち止まってしまったり、しています。






日本て、こんなに広い国だったんだなぁ。


東と、西と、真ん中と。


まるで違う。
今。






いろんな人がいますね。
いろんな場所がある。


みんな、昨日よりしあわせになりたくて、それぞれを懸命に生きている。






ただそれだけのことなのに、ときに人は、人を不幸にしてしまう。


どうしようもなくそうなってしまったのなら、救いも、許しも、ある。
きっと。


けれどそうではなかったとき、そこに何があるというのか。






金に目が眩んだ人は、パンドラの匣をあけたがる。


自分にはその才があると、錯覚して慢心して、ついに巨大な蓋をあけ放ってしまった。


信じがたいことにこの日本で…愚かにも。


あの匣に残ったものは希望だったけれど、
それはあまりに儚くて、
真実の目を持った人でなければ、たぶん見落としてしまうほど、
ちいさなちいさな粒のようなものだと思うのです。






あなたには今、希望の粒が、みえますか?


私には、虫の息であえいでいる姿にみえます。






どんなに理不尽であろうと、おのれの運命とうけとめて、
人はただ粛々と、淡々と、笑って日々の暮らしをつとめていくのだ。


それが美徳なのだ。






…そんな馬鹿な。


それだけでいいはずがない。


だって、みんな生きているんだもの。
等しく生きているんだもの。


人が人から踏みつけにされていいはずがない。


足りないものがあるでしょう。






「金なんか、ケツも拭けねえじゃねえか」


始末をつけられなくて、何の繁栄だろう。
始末を人に押し付けて、何が人間、どこが人間。






人は、真実の怒りを持ち続けなくてはならない。


怒りはパワーになる。


それが手前勝手なものでないかぎり、
力を得た真実は燦然と輝きだし、圧倒的な純度で、人を正しき方向に導きはじめる。


救いを失くした人間がすがれるもの、それは匣に残った希望。


希望を燃やしつづけるものは、灯台のような真実の怒りの火なのではないだろうか。






この台詞をはじめて読んだとき、怒りというものの本当の意味が、
私は生まれてはじめて腑に落ちました。


怒りというものからは、できるだけ離れて生きる、
それが慈悲の心だと、教わって育ってきたのだもの。






そうか、不動明王か。


あれは、人の剥き身を感じ取らせてくださる御姿だったのだ。


真実の前には、誰もが胸に抱いていていい形相だったのだ。






…この夏、たぶん日本中が、
エネルギーというものに振りまさわれていくことになるのでしょう。


火は、本当に大事。
これがなければ自分も生まれていなかったかもしれない、人類の命綱。


そんな大事なものを、個人が独占していいはずがない。


生き物の命運を握るほどの賜り物を、
神でもない、まして金に目が眩んだ人間が、制していいはずなどない。






だから、ちっぽけな自分の中の、怒りを灯しつづける。


懸命に、ささやかだけれどやすらかで楽しい暮らしをめざしながら、
この火は絶やさない。


希望を輝かせるために。






そんな風に、今私は、この台詞を解釈しています。


みなさんは、何を想われるでしょう?













STATION
















公演直前の新作の台詞です。


封印を、少しだけ解きました。



胸にこみ上げる想いは、海よりも深くあふれそうだけれど、
今は、何も申し上げません。



あなたのその耳で、その目で、どうぞ、
確かめてください。




       離風霊船 2011年5月公演 大橋泰彦新作 『STATION』

       5月11日(水)〜17日(火) 下北沢ザ・スズナリ
       5月20日(金)21日(土)   岡谷カノラホール


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       詳細はこちらでも

ハムレット














To be, or not to be




         このままでいいのか いけないのか




         とどまるべきか 踏み出すべきか




         やるか やらないか













To be, or not to be



         ゆだねるべきか あらがうべきか




         なるようになるのか そうはいかないのか




         果たすべき想いか 手離すべき想いか















To be, or not to be: that is the question:



         このままの日々か そうでない日々か どちらを選べばいい



         守るべきか 攻めるべきか どっちを取る


















To be, or not to be: that is the question:



         このまま生きるか そうはしないか それが問題だ





















たったひとつのフレーズが、これだけの言葉に置き換わる。

To be, or not to be.

これは、今の私たちみんなが抱えている一言ではないでしょうか…




2011年3月11日、東日本に人類の想像を超えた震災が起こりました。

私はこのコラムでこれをやり過ごすことはできませんでした。

明るく美しい夢の台詞を綴りたかったけれど、どうしてもできませんでした。




今を生きている以上、今この時と向かい合わないわけにはいかない。




勇気をもたらす言葉でも元気を呼び起こす言葉でもないけれど、
ありのままの自分で書こう、そう決めたときに、
いつのまにかこの台詞が、耳の奥で響いていました。




そうして、古いノートに、
ハムレット」の別の台詞が書き付けてあったのをみつけました。




どなたの翻訳か…福田恆存先生でしょうか、
不明なままなのですが、
この古典にはこんなに美しい台詞も書かれているのです。








         朝日が 茜色の被衣(かずき)をひろげ


         露を踏み締めながら 東の尾根を越えてくる









いくたびの朝日を迎えるごとに、その光を胸に抱いて、前へ、前へ、少しずつ、
進みましょう。
進みましょう。




To be, or not to be.
迷いながら、立ち止まりながら、善き彼方をめざして、前へ前へ少しずつ、
進みましょう。




希望は、決して手離さないで。










To be, or not to be.


That is the question.




         活きるべきか 活かざるべきか それが 問われているのだ
























劇団離風霊船

山岸諒子ブログ R's voyage

赤い鳥逃げた…
















1985年。



あなたはおいくつでしたか?
25歳以下の方はまだ生まれていらっしゃらないんですものね、
そんなに経ったことが不思議な気さえします。



あの年は、ずいぶん色んなことがありました。
バブル前夜の喧騒と華やかさに彩られはじめ、日本が確実に変わり目を迎えた、
そんな年。



   田中角栄引退  つくば科学博開催  連続テレビ小説澪つくし』  NTT・JT設立
   エホバの証人輸血拒否事件  松田聖子結婚  グリコ・森永事件終息宣言
   TBSドラマ『金曜日の妻たちへ?〜恋に落ちて』  三浦和義逮捕  夏目雅子死去
   阪神セ・リーグ優勝  日本レコード大賞中森明菜『ミ・アモーレ』



日本航空123便が群馬県御巣鷹山に墜落したのは、この年の8月でした。



私はその日、帰省列車に乗っていました。
富士山を横目に、夕焼けに向かって走る車窓を通して、
自分の腕が朱色に染められていたことを、今もくっきりと思い出します。



友達と食事をしてから実家に帰ると、テレビはもう報道特別番組一色になっていました。
6時すぎにそれは起きていたのです。
そのとき初めて、電車の中の自分の真上で、あの飛行機が迷走していたことを知りました。





5ヵ月後の公演に、大橋さんは別の事件のことを書こうとしていました。



この事故へのマスコミの姿勢は露悪趣味といってもよい様相を呈し、
写真週刊誌は毎号毎号刺激的な記事を競いあい、
まるで悪魔にとり憑かれたような「お祭り騒ぎ」を加速させていって…



気づいたら、大橋さんは発行された読み物をむさぼるように買い集め、
この事故の中に入っていっていました。
…このひとも、悪魔に取り憑かれてしまったんだろうか。



「123便の話を書くから」



大橋さんにそう言われたとき、メンバーはみんなギョッとして、数秒言葉が出ませんでした。
これが芝居になるものなのか、どうしようというのか、なにを書こうというのか。
あまりにもラジカルなその発想に、全員が身震いしたように思います。



けれど大橋さんを書く気にさせたのは、気持ち、だった。
酷いだろう。
あんまりだろう。
こんなお祭り騒ぎを許していいのか。



大橋さんの本気の怒りを知ったとき、私たちはみんな「やりましょう」と言っていた。
たぶんこの先、とんでもないバッシングや批判を受けることになるのだろう。
それでも私たちの想いは一つだから。



見世物のように汚されてしまった命の本当の躍動を、今生かされている自分たちの肉体で、
代弁したい、するのだ。
その想い一つだけだから。



これは「ただの芝居」じゃなくなる…
そう見定めたとき、やりましょうと、一人一人が引き受けた。



こうして、『赤い鳥逃げた…』という作品は、胎動しはじめました。





この台詞は、この便の乗客となっていて生還されたアシスタントパーサー落合由美さんの、
事故から二日後に新聞発表された証言をベースにしています。



機体に不具合が発生した6時25分という時間の「0625」という表現。
「ダッチロール」という奇怪な言葉。



「わたくし」は56Cの座席で…から始まるその証言は、
あまりにも淡々とした切り口上で、
彼女と世間のあいだに、壁を築かれてしまった違和感をおぼえました。



いちばん大事なものが、厚く厚く覆い隠されている。



不幸はいつでも圧倒的に理不尽で、人はそのまえでなす術を持たない。
振り向けばいつでもつながっていた「昨日」が一瞬で断ち切られ、
突然、後戻りのできない断崖に立たされる。



けれど、引き剥がされた昨日は、確かにあったのだから。
書かなければならない。
確かにあった、昨日までの人生を、想いを。



   小さく窓に切り取られた夜景は、いつ見ても目に眩しい…



大橋さんは、「証言」の前にこの台詞をつなげました。



待ち受ける運命を知らぬまま、
愛する夫の胸へと帰るときめきを、しずかに、酔うように胸に秘めた、
幸福の時間…。



私は大橋作品の中で、こんなに女らしい台詞を他に見たことがありません。
それは、大橋さんが想った、乗客たちの「今日」でした。


台詞は想いから証言へとつながり、ラストシーンに向かいます。



   0625。バーンという音が上の方でした。そして耳が痛くなった…



幸福は烈しく渦巻く嵐に引き裂かれ、平和なお茶の間が事故現場へと変わる、
その一瞬の理不尽のためだけに、この芝居はあるのです。



演じ手の自分も、10年演り続けた、もはや半身とも言える役だけれど、
この台詞だけは一日に何度も言えませんでした。



これを口にし始めると、いつもとてつもない重さにのしかかられて、
負けずに伝えるんだと渾身の力を振り絞る、役から離れた自分自身に、
あの間だけはなっていましたね。



ソデに戻ったら立ち上がれなくなるぐらい、そこまで行かなきゃこれは言っちゃ駄目だ、
それが、この台詞を送り出す自分と大橋とこの劇団の、舞台の外への想いだから、
自然と…そうなってしまっていましたね。





26年。



この台詞が生まれてから、それだけの歳月が過ぎて、
たぶん『赤い鳥逃げた…』を上演できる土壌は、
もう世の中にはなくなってしまったのかもしれません。



時が残酷なのか癒しを与えてくれるのか、
一介の演じ手の自分に本当のところはわからないけれど、この台詞が生まれたことは、
確かなのですよね。



この世から芝居というものが消えないワケが、この台詞にはある。
私は、そう思っています。







                     劇団離風霊船