赤い鳥逃げた…
1985年。
あなたはおいくつでしたか?
25歳以下の方はまだ生まれていらっしゃらないんですものね、
そんなに経ったことが不思議な気さえします。
あの年は、ずいぶん色んなことがありました。
バブル前夜の喧騒と華やかさに彩られはじめ、日本が確実に変わり目を迎えた、
そんな年。
田中角栄引退 つくば科学博開催 連続テレビ小説『澪つくし』 NTT・JT設立
エホバの証人輸血拒否事件 松田聖子結婚 グリコ・森永事件終息宣言
TBSドラマ『金曜日の妻たちへ?〜恋に落ちて』 三浦和義逮捕 夏目雅子死去
阪神セ・リーグ優勝 日本レコード大賞:中森明菜『ミ・アモーレ』
日本航空123便が群馬県の御巣鷹山に墜落したのは、この年の8月でした。
私はその日、帰省列車に乗っていました。
富士山を横目に、夕焼けに向かって走る車窓を通して、
自分の腕が朱色に染められていたことを、今もくっきりと思い出します。
友達と食事をしてから実家に帰ると、テレビはもう報道特別番組一色になっていました。
6時すぎにそれは起きていたのです。
そのとき初めて、電車の中の自分の真上で、あの飛行機が迷走していたことを知りました。
5ヵ月後の公演に、大橋さんは別の事件のことを書こうとしていました。
この事故へのマスコミの姿勢は露悪趣味といってもよい様相を呈し、
写真週刊誌は毎号毎号刺激的な記事を競いあい、
まるで悪魔にとり憑かれたような「お祭り騒ぎ」を加速させていって…
気づいたら、大橋さんは発行された読み物をむさぼるように買い集め、
この事故の中に入っていっていました。
…このひとも、悪魔に取り憑かれてしまったんだろうか。
「123便の話を書くから」
大橋さんにそう言われたとき、メンバーはみんなギョッとして、数秒言葉が出ませんでした。
これが芝居になるものなのか、どうしようというのか、なにを書こうというのか。
あまりにもラジカルなその発想に、全員が身震いしたように思います。
けれど大橋さんを書く気にさせたのは、気持ち、だった。
酷いだろう。
あんまりだろう。
こんなお祭り騒ぎを許していいのか。
大橋さんの本気の怒りを知ったとき、私たちはみんな「やりましょう」と言っていた。
たぶんこの先、とんでもないバッシングや批判を受けることになるのだろう。
それでも私たちの想いは一つだから。
見世物のように汚されてしまった命の本当の躍動を、今生かされている自分たちの肉体で、
代弁したい、するのだ。
その想い一つだけだから。
これは「ただの芝居」じゃなくなる…
そう見定めたとき、やりましょうと、一人一人が引き受けた。
こうして、『赤い鳥逃げた…』という作品は、胎動しはじめました。
この台詞は、この便の乗客となっていて生還されたアシスタントパーサー落合由美さんの、
事故から二日後に新聞発表された証言をベースにしています。
機体に不具合が発生した6時25分という時間の「0625」という表現。
「ダッチロール」という奇怪な言葉。
「わたくし」は56Cの座席で…から始まるその証言は、
あまりにも淡々とした切り口上で、
彼女と世間のあいだに、壁を築かれてしまった違和感をおぼえました。
いちばん大事なものが、厚く厚く覆い隠されている。
不幸はいつでも圧倒的に理不尽で、人はそのまえでなす術を持たない。
振り向けばいつでもつながっていた「昨日」が一瞬で断ち切られ、
突然、後戻りのできない断崖に立たされる。
けれど、引き剥がされた昨日は、確かにあったのだから。
書かなければならない。
確かにあった、昨日までの人生を、想いを。
小さく窓に切り取られた夜景は、いつ見ても目に眩しい…
大橋さんは、「証言」の前にこの台詞をつなげました。
待ち受ける運命を知らぬまま、
愛する夫の胸へと帰るときめきを、しずかに、酔うように胸に秘めた、
幸福の時間…。
私は大橋作品の中で、こんなに女らしい台詞を他に見たことがありません。
それは、大橋さんが想った、乗客たちの「今日」でした。
台詞は想いから証言へとつながり、ラストシーンに向かいます。
0625。バーンという音が上の方でした。そして耳が痛くなった…
幸福は烈しく渦巻く嵐に引き裂かれ、平和なお茶の間が事故現場へと変わる、
その一瞬の理不尽のためだけに、この芝居はあるのです。
演じ手の自分も、10年演り続けた、もはや半身とも言える役だけれど、
この台詞だけは一日に何度も言えませんでした。
これを口にし始めると、いつもとてつもない重さにのしかかられて、
負けずに伝えるんだと渾身の力を振り絞る、役から離れた自分自身に、
あの間だけはなっていましたね。
ソデに戻ったら立ち上がれなくなるぐらい、そこまで行かなきゃこれは言っちゃ駄目だ、
それが、この台詞を送り出す自分と大橋とこの劇団の、舞台の外への想いだから、
自然と…そうなってしまっていましたね。
26年。
この台詞が生まれてから、それだけの歳月が過ぎて、
たぶん『赤い鳥逃げた…』を上演できる土壌は、
もう世の中にはなくなってしまったのかもしれません。
時が残酷なのか癒しを与えてくれるのか、
一介の演じ手の自分に本当のところはわからないけれど、この台詞が生まれたことは、
確かなのですよね。
この世から芝居というものが消えないワケが、この台詞にはある。
私は、そう思っています。