STATION 2
お金ってなんでしょうね。
人は何のためにお金を欲しがるのでしょう。
豊かになるため?
…豊かさってなに?
言い古された今更な想いだけれど、
私は今、本当にこのことに疑問を感じています。
あれから三ヶ月が経とうとしていますね。
みなさんは今、どうされていますか?
どんな風に、生きていらっしゃいますか?
それでも生きていく、という言葉が、
あるときは胸を塞ぎ、あるときは希望の灯をともし…
その波のようなゆったりとした振幅をもてあまして、
私は、ときおり立ち止まってしまったり、しています。
日本て、こんなに広い国だったんだなぁ。
東と、西と、真ん中と。
まるで違う。
今。
いろんな人がいますね。
いろんな場所がある。
みんな、昨日よりしあわせになりたくて、それぞれを懸命に生きている。
ただそれだけのことなのに、ときに人は、人を不幸にしてしまう。
どうしようもなくそうなってしまったのなら、救いも、許しも、ある。
きっと。
けれどそうではなかったとき、そこに何があるというのか。
金に目が眩んだ人は、パンドラの匣をあけたがる。
自分にはその才があると、錯覚して慢心して、ついに巨大な蓋をあけ放ってしまった。
信じがたいことにこの日本で…愚かにも。
あの匣に残ったものは希望だったけれど、
それはあまりに儚くて、
真実の目を持った人でなければ、たぶん見落としてしまうほど、
ちいさなちいさな粒のようなものだと思うのです。
あなたには今、希望の粒が、みえますか?
私には、虫の息であえいでいる姿にみえます。
どんなに理不尽であろうと、おのれの運命とうけとめて、
人はただ粛々と、淡々と、笑って日々の暮らしをつとめていくのだ。
それが美徳なのだ。
…そんな馬鹿な。
それだけでいいはずがない。
だって、みんな生きているんだもの。
等しく生きているんだもの。
人が人から踏みつけにされていいはずがない。
足りないものがあるでしょう。
「金なんか、ケツも拭けねえじゃねえか」
始末をつけられなくて、何の繁栄だろう。
始末を人に押し付けて、何が人間、どこが人間。
人は、真実の怒りを持ち続けなくてはならない。
怒りはパワーになる。
それが手前勝手なものでないかぎり、
力を得た真実は燦然と輝きだし、圧倒的な純度で、人を正しき方向に導きはじめる。
救いを失くした人間がすがれるもの、それは匣に残った希望。
希望を燃やしつづけるものは、灯台のような真実の怒りの火なのではないだろうか。
この台詞をはじめて読んだとき、怒りというものの本当の意味が、
私は生まれてはじめて腑に落ちました。
怒りというものからは、できるだけ離れて生きる、
それが慈悲の心だと、教わって育ってきたのだもの。
そうか、不動明王か。
あれは、人の剥き身を感じ取らせてくださる御姿だったのだ。
真実の前には、誰もが胸に抱いていていい形相だったのだ。
…この夏、たぶん日本中が、
エネルギーというものに振りまさわれていくことになるのでしょう。
火は、本当に大事。
これがなければ自分も生まれていなかったかもしれない、人類の命綱。
そんな大事なものを、個人が独占していいはずがない。
生き物の命運を握るほどの賜り物を、
神でもない、まして金に目が眩んだ人間が、制していいはずなどない。
だから、ちっぽけな自分の中の、怒りを灯しつづける。
懸命に、ささやかだけれどやすらかで楽しい暮らしをめざしながら、
この火は絶やさない。
希望を輝かせるために。
そんな風に、今私は、この台詞を解釈しています。
みなさんは、何を想われるでしょう?
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